第2話 理性の崩壊…育児ノイローゼ

マイヒストリー

《アスペルガーの可能性がある息子との関わり》

色々あったけれども、無事に息子を出産することができて、わたしは幸せでした。

しかし幸せを感じられたのは生後1週間ぐらい。

今思えば、洗脳されたわたしの考え方は不幸を引き寄せるような考え方になっており
なにもかもがどんどん悪くなっていったのでした。

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息子は、アスペルガーの可能性が非常に高いと言われていました。
0歳の時から、すごく育てるのが難しいと感じているわたしがいました。

1秒でも目を離そうものなら・・・

「待ってー!!」

必死で息子を追いかけるわたし。
昔、陸上部だったわたしの足でもなかなか追いつけない。

「ダメー!!」

やっと手を伸ばして息子をつかまえ
抱きしめてはがいじめにする。

時には目の前に車が
サーっと血の気が引くわたし。
あと1秒遅かったらひかれる
そんなこともありました。

ある時は、公園で遊んでいると見ず知らずのお母さんと娘さんが。
そこへ走っていく息子。
次の瞬間

「バチーン!!」

突然その娘さんをたたく息子。

「ダメー!やめて!!」

そんなわたしの叫び声もむなしく、たたかれて泣く娘さん。
そしてそのお母さんに怒られる息子。
「ちゃんとしつけているの?」と言わんばかりの顔で
わたしと息子をにらみつける。

「すいません・・・」

そう言って、逃げるようにして公園をあとにするしかできませんでした。

わたしだって、頑張っている。
だけど怒ろうが優しく諭そうが、言うことを聞くような子ではありませんでした。
「代わりに育ててみてよ!」
何度も心の中でわたしは叫びました。
こんな気持ちは、誰もわかってくれないのだと。

こんな日が毎日続いて
次第に人がいる所で遊ばせることが怖くなっていきました。
どこにも行けない、と感じるわたしがそこにいました。

旦那の帰りはいつも遅く、休みは週1。
ほぼワンオペ。
逃げるように走っていく、しかし後追いがひどい。
トイレでも、どこにでも、ついてくる息子。
一人になれる時間がないと
いつも嘆くわたしがそこにいました。

キッチンは危ないから、入れないようにゲートをつけていました。
ある時

「ガチャーーーーーーーン!!」

とカウンターキッチンを通り越して
シンクに大きなプラスチックのおもちゃが飛んできました。
ふと振り返ると
なんでかまってくれないの?と
泣きじゃくり懇願する息子の目がそこにありました。
ご飯を作る時間もなかった。
いや、息子が与えてくれなかったのです。

わたしたち家族は、息子が2歳になるまでは集合住宅の2階に住んでいました。
暴れるのが毎日の息子に対して、下の階から
「うるさい!!」と怒られる毎日に
わたしは恐怖すら感じていました。

わたしの言うことなど全く聞いてくれない息子にストレスはたまり
時に罵声をあびせ、手を出してしまったこともあります。
どこかに縛っておけないか
誰かが預かってくれないか
など日々考え、わたしの心は塞ぎこんでいったのです。

家にいるのも
外にいるのも
気が休まらない日々でした。

しかし表向きは、育児を楽しむママを気取り
SNSに投稿したりする毎日に
わたしの心がどんどんすさんでいくのを感じていました。

その時のわたしにとって、SNSは唯一の外部とのつながりであり
このつながりがなかったらわたしの心は死んでしまいそうな
そんな感覚を覚えていったのです。

当時のfacebookの投稿です。

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子育てに悩むわたしに、さらに追い討ちをかける事件がおこりました。
ある日、息子は熱性けいれんで倒れたのです。

息子の動きが突然とまり、目も動かず息もしない。体は硬直した状態で
唇はみるみるチアノーゼで紫色に。

わたしの心に恐怖が走りました。

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「どうしたの?大丈夫?」
そんなわたしの声にも、彼はいっさい反応しないのです。

どうしよう。
どうしたらいい?

舌を噛んではいけないと思い
あわててわたしの親指を口に突っ込んだら
すごい力でグッ!!と噛まれ、痛みが走る。
でも「この子を守らなきゃ!」と必死で、痛みも気になりませんでした。

息子を抱っこしているのに
体が硬直してまるで命のない人形のようでした。

なんなの?死んじゃうの?
そんな恐怖に襲われたのです。

パニックになりそうな自分をなんとか落ち着かせ
救急車を呼びました。

「指は抜いてください」と
電話の向こうで冷静に話される救急隊員のかたの声に
ただただ従うしかなかったわたしでした。

《すべてわたしのせい?》

これはわたしが毎日イライラして
怒鳴ったり、泣き叫んだりしているせいなのか?

わたしのせいでけいれんの頻度が上がってきたのではないか?

と、自分を責めて落ち込む毎日。

そんな症状が頻繁に起こり
その都度わたしは、息子に対して優しくしようと思いました。
しかし、息子が元気になったとたん、またイライラがつのり
怒鳴ってしまうわたしもいたのです。

子供がいない時期が長く、悩んでいたわたしにとって
やっと授かったかわいい息子のはずなのに
その息子との生活は苦しくて苦しくて
睡眠障害になり、慢性的な寝不足。
誰か代わりに育ててくれないか。
なぜうちの子だけこんな状態なんだろう?
来る日も来る日もわたしは泣いていました。

感情的になるたびに、襲われる激しい自己嫌悪がありました。
こんな小さい息子を相手に
なんてひどいことをわたしはするのだろう。
最低だ、と思いました。
わたしは消えてしまいたいと何度も思ったのです。

誰か助けてと
わたしの心は崩壊寸前でした。

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わたしはある日泣き崩れました。
旦那が帰宅した瞬間、わたしの理性が崩壊してしまったのです。

わかってよ
助けてよ

あの鬱から抜け出したと思っていたのに、何年もたったこの当時
気づいたらまた鬱。
育児ノイローゼになってしまった自分がいました。
なにもかもが、どんどん悪くなるのです。

【孤独、鬱、依存、洗脳】

わたしがカウセラーにすがりつくのに
十分すぎるぐらいの条件がそろっていました。

カウンセリングにはまり、抗うつ薬を飲む。
わたしは、そんな生活から抜け出せない状況が続いていたのです。

ある日、追い討ちをかけるようにカウンセラーはわたしに言いました。

「まりちゃんは普通の人より複雑で大変なカルマがあるから
定期的継続的にカウンセリングを受けた方がいいよ」と。

カウンセリングを受けたい気持ちでいっぱいでした。
しかしわたしには、もうお金もないし・・・と、途方に暮れていたのです。

《奇跡の再会》

そのような時に奇跡の出会いがあったのです。

独身の頃にすごくお世話になったある経営者のかたから
「遊びにおいで!」と連絡をいただきました。

困った時には色々と相談にのっていただいたこともあり
実はわたしたち夫婦のキューピット的存在でもあるかた。
結婚式ではスピーチもしていただきました。

そして、ネットワークビジネスで鬱だった時
いよいよ死のうかなって思った時も
このかたの言葉に救われました。

このかたがよく言われてた言葉が
なぜか空から聞こえてきたのです。

「この世に、必要ない人なんていない。
どんな人も、みんな意味があって生きている。」

この言葉を信じて、そこから這い上がれたのでした。

だからこの連絡も何か特別な縁を感じました。

「このタイミングを逃してはいけない!!」

本能的にわたしはそう感じたのです。
そして、そのかたの家にうかがいました。

お話すること数時間。
大切な話はたった1時間。
一瞬でわたしの洗脳は解けたのです。
もちろんそのかたはお金なんて取りません。無料です。笑

そして魔法のアドバイスをいただきました。

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これは難しい方法ではありません。
単純で、誰でもできる再現性のある方法だったのです。
この魔法とは・・・

興味がありませんか?

詳細は第3話でお話したいと思います。

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ネットワークビジネスや詐欺師に騙されて鬱になり育児ノイローゼにもなった私が出会った
「本当の生き方と人生の立て直し方」
【目次】
■第1話 頑張るほど鬱になった、ネットワークビジネス
■第2話 理性の崩壊…育児ノイローゼ
■第3話 魔法のアドバイスとは



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